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ナカジのおもひで

ナカジのポスティングがいよいよ申請されました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111129-00000022-sanspo-base

大リーグ各球団の入札締め切りは3日朝(日本時間)ということで、近いうちにナカジが入団するであろう
球団名が明らかになります。

去年、ポスティングに関しては岩隈問題がありましたが、ナカジが同じ道をたどる事は無いだろうなと思います。
岩隈の時は、「アスレティックス側に低く評価された」「誠意が無かった」「本当に必要とされていない云々」
の話がありましたが、今回のナカジについては西武球団も「金額の下限は設けない」と、ポスティング容認を
発表した当初より明言していますし、何よりも本人が評価云々以上に早く米国へ行きたい模様。
そもそもこのポスティング制度でMLBとNPB間での移籍が成立しなかったこと自体が去年が初めての事ですから、
ナカジがここで躓く可能性は限りなく低いでしょう。

ということで、いよいよナカジの米国行きがほぼ確実となりました。
よっぽどドジ踏んだり揉めたりせず、大外れの代理人を掴まされたりしない限りは。

あとはメジャーリーガー中島裕之が来シーズン当初からTVで見られるか否かは、ナカジの頑張り次第。
来季の開幕時にMLBの試合に出るには、25人のロースター(日本でいう一軍登録)の枠に入らなければ
ならないわけで、それが達成されなければAAA以下のマイナーリーグに出場と言う事になりますし。。。
ポスティングで移籍出来たからと言って、別に何も保証されるわけではないので頑張ってほしいです。


しかし、甲子園とは無縁の高校からドラフト5位で入団したほぼ無名と言えた生え抜き選手が
西武ライオンズ史上において屈指の人気を誇った名物選手になって、その選手がいよいよ海を渡ることになるんだね。

入団当初より追いかけていた人には、感慨深いものがあるでしょうね。


【これよりナカジのおもひでを勝手につらつら語ります。長いです。色々思いだしてダラダラ書いてます。】


【~2003年】
「ファームに良い選手が複数いる」「数年以内に彼らが必ずやチームを引っ張るだろう」という話は
風の噂で耳にしていました。
その一人が中島裕之であり、他に栗山巧や中村剛也であり・・・。
ナカジが一足先に2003年頃から一軍に出始め、2004年にブレイク。栗やおかわりも2005年を境目に
一軍で徐々に頭角を現す様になってきて、噂はモノの見事に現実になったわけで。

当時のライオンズにおいて絶対的な存在だったカズオが2003年のオフにMLBへの移籍を実現させて、
ぽっかり空いたショートのポジション。
そのカズオの後釜にするといわんばかりに、「意地でも中島を使い続ける」と2003年オフから指揮をとった
伊東監督による英才教育。

この2003年オフの時点でナカジの背番号はあっと驚きの3へ変更。
2003年は40試合程度1軍に出ていて期待値は高かったものの、当時のライオンズファンには
カズオの存在が大きくのしかかっていて「中島裕之」という選手に対して半信半疑な人は多かったと思います。

【2004年】
1軍ではまとまった実績の無い高卒4年目の選手だっただけに、背番号3の中島裕之が7番ショートで
固定された事に対して最初はファンも「荷が重いわ(汗)」と半信半疑で見ていたら、
まあ良い場面で打つわ打つわ。
身体もガッチリしていたし、スイングも豪快でスケールの大きさも感じさせましたね。走塁も積極的。
年齢も21歳とまさに「次世代の若獅子」という形容詞にピッタリだったし、あっという間に女性ファンの心を
掴んで、スタンドからは連日「ナカジぃぃぃ!!!」の黄色い声。

ただ、守備は正直言って・・・アレでした(´∀`;)。一言で言うとガタガタ。
そもそも、高校時代までは投手でしたし内野手にコンバートされたのはプロに入ってからですからね。。。

初のASにも選出され、後半少々息切れしたものの高卒4年目にしてリーグ唯一のフルイニング出場かつ
打率は2割8分台でHR27本と堂々たる数字を残します。並みの若手ではなかったことは事実です。
ポストシーズンもショートで君臨して活躍し、日本シリーズも制覇。このまま階段を駆け上がるかにみえましたっけ。

あの2004年のシーズンまで、ボールがよく飛んだんだよね・・・(汗)。
何でこんなに飛ぶの?ていうくらいに・・・。翌年から飛ばないボールに変わるんですね。
(それでも今の低反発球に比べたらやはり飛ぶ)。翌年の苦悩はこの辺も影響したんですかね。


【2005年】
2005年は、ナカジにとってもチームにとっても完全に辛抱のシーズンでした。
ナカジの7番ショート固定は変わらずでしたけど、前年実績を残したことで期待値も責任も大きくなる反面、
ナカジがいきなり春先から色々躓きました。思う様に残せない成績、前年と変わらぬ不安定な守備、
そこへもってきてGW明けの広島でイレギュラーバウンドの打球を顔面に直撃させ、頬骨骨折と悲惨。
こりゃー結構時間かかるかな・・・と思ったら、半月くらいでフェイスガードをつけたままスタメン復帰と
凄い事になった時は少々驚きましたw。この選手の身体の強さが垣間見れましたね。

ただ、ナカジの打撃の調子自体が上向きにならず守備もやっぱりまだ粗だらけで。
特に守備に関してはこのシーズンのライオンズは「悪い」という水準を通り越して「おぞましい」と
形容出来るレベルで、ファンが守備ミスに関しては物凄く神経質になってたものでした・・・。
とにかく守備走塁に関しては信じられないプレーのオンパレードで滅茶苦茶なシーズンでしたから。。。

そんな中で、打てない守れない状態に陥ったナカジは期待値が高かった分だけファンから槍玉に挙がり、
夏に向けて更に調子を下降させていきまして。

当時を知らない方にとってはびっくりでしょうが、後半戦に入ってナカジ自ら頭を丸めたりもしましたよね。
それでも駄目で、ずっと我慢を続けていた伊東監督もとうとうナカジのスタメン落ちを英断。
その代わりにショートのポジションに入ったのが、当時ルーキーだったヤスでして。
完全にファイヤーフォーメーションと化していた当時のライオンズの内野守備の中で、守備では
一応普通のプレーをしていたヤスが少々ちやほやされるようになりました(勿論ヤスの守備も今の方が明らかに良いと思いますよ)。
ファンからは「ショート片岡でいいからもうナカジは2軍行け」なんて言われてましたっけ。
(あの時はナカジ支持派とヤス支持派に分かれた西武ファンがあっちこっちのBBSで喧嘩しているのもよく見ましたw)

そんな中、個人的に印象に残ってる試合が1つあります。8月の西武Dでのとある試合。
半月ほどスタメンを外され続けたナカジに、再びスタメンのチャンスがまわってきまして。
相手がロッテの久保だったんですが、当時ナカジは久保を得意にしていたんですよね確か。
で、その通りにまず1打席目でいきなりソロHRを打ちます。

イニング中盤に同点のまま試合が進むも、7回表の満塁のピンチでショートに入っていたヤスが
1塁へ大悪送球を犯してしまい4-2とロッテ勝ち越し。守備からチャンスを掴みかけていたはずのヤス、2塁ベース付近でぼーぜん。

その直後のイニング。ナカジがまたまたロッテ久保から豪快に同点2ラン。
それまでの半分鬱入ってたようなナカジの状態からして、こんなの有りえなかったですもん。
ベンチに戻ったナカジにヤス敬礼、みたいなシーンがあったと記憶してます。

あーやっぱりナカジってスターの性質持ってるんだなあ・・・と思ったのを記憶しています。
ここいらから立ち直ったんだよね。逆にヤスがこの辺から下降していってヒールみたいになっちまいましたが。
http://bis.npb.or.jp/2005/games/s2005081801268.html

あら、おかしい。ナカジの想い出なのになんかヤスネタが絡んでるw。
この年のナカジはHRを11本と激減させ、打率も下げてしまい守備でも苦戦し、とにかく苦しんだシーズンでした。


【2006年】
このシーズンからナカジの打順が背番号と同じ3番に。
守備は不安定な面を多々露呈してしまいましたが、打撃は前年とは違って序盤から絶好調でした。
チームも首位争いをしていて、良い感じで進んでいた矢先に7月末の仙台で手に死球を受けて骨折。

この時点で、今季のナカジはペナントレースは恐らく絶望でプレーオフに戻ってこれれば・・・
という見方が多かったんですけど、回復が異様に速くて当初の予定よりも半月以上も早い9月中旬には
1軍に戻ってました。これにはファンもビックリしたものですよね。
チームは最後僅差でシーズン1位を逃しただけに、この死球離脱がなければ・・・というシーズンでした。。。

*今でこそ愛嬌のあるナカジ・・・ですが、この当時は色々と思うところもあったのか結構鬼気迫る表情で
練習していた事も多かった記憶です。。。南郷でもファンは他の選手にはサインや写真を求めて群がるのに、
ナカジは鬼気迫る雰囲気でファンも近づくことが全く出来ないほど・・・でした。


【2007年】
チームとしては思い出したくないシーズンで(裏金問題とか25年ぶりのBクラスとか)、
完全に内部崩壊してるんじゃないのコレ?と言いたくなるほどでしたが、
そんな中でナカジは一番地に足を着けてプレーしていたかな、と思えました。
とは言え、チームがとにかく弱くてバラバラで、ナカジも強引な三振が増えたりとか、
色々辛い感じでしたかね~。しかし、2年連続で3割をなんとかキープし1億円プレイヤーに昇格。


【2008年】
この頃からナカジがチームを引っ張っていく様子が前面に出始めてきた感じです。

HRを打ったりタイムリーを打ったりした時に、雰囲気を盛り上げるべくかなりオーバーアクションで
味方ベンチに満面の笑みでガッツボーズを決めたりとか、結構やってました。
ピンチの時にマウンドへ行く頻度もかなり高くなっていたように記憶してます。

色々壁を乗り越えて、プレーにも少し余裕が出来たのかもしれません。
真剣そのものなのに変わりはなかったものの、鬼気迫る感じは脱して何か余裕が感じられるようになりました。
本当に名実ともにチームを引っ張ってた気がします。成績もこのシーズンが最高でしょう。守備も格段に向上して
ゴールデングラブも初受賞しましたし。五輪にも選ばれて徐々に球界を代表する内野手の座を固めていきました。


一番感動したのは日本シリーズ第7戦。

このシリーズでナカジは色々な部位を痛めてしまい、身体はガタガタ。スイングなんかまともに出来る状態じゃなかったです。
6戦7戦も素人目で見ても「ナカジやばい。本来のスイングから程遠いっていうよりスイング出来てない・・・」というのがハッキリ解るほど。しかし、そんな状態でも最後まで出続けました(故障者多数で代わりになる選手なんていなかった上に、ナカジが絶対的な打線の核でした)。

7戦の8回表はライオンズファンの中では「伝説の8回表」状態になっていますが、あれはベンチとヤスと栗とナカジの強烈な信頼関係がもたらした8回表だったと思っています。
1点ビハインドの8回表に、ヤスが死球でガッツポーズで出塁→ヤスの大博打と思われた盗塁が成功→強烈なプレッシャーをモノともせず栗が送りバントを「完璧」に成功。1点ビハインドで1死3塁。

打席にはスイングがまともに出来ない状態のナカジ。

ここでベンチは3塁ランナーのヤスにギャンブルスタートの指示。
ナカジが初球から渾身の力を振り絞って何とかゴロを転がす。ヤスは一瞬の迷いも見せず猛然とホームへスパート。

ここは本当に感動した。。。勿論ヤスの勇気にも栗の精神力の強さにも感動したんだけど、
ナカジの意地とそのナカジに対する信頼感が無ければ、あの8回表は成立していませんでした。。。
ホント、これがナカジの一番の想い出。

ああ、ごめんねごめんねヤス絡みだわ(ノ∀`)。


【2009年以降】
WBCに出場するも途中で熱出したりして波乱万丈でしたが、WBC優勝で知名度も大幅に上げましたねぇ。

この辺から先はナカジを実体験している方も多いと思いますし、長くなりすぎたので割愛。
ただ、ナカジに対して評価が高まれば高まるほど、期待値もそれ以上に上がっていった気がしますね。
ナカジだから出来て当たり前、出来なきゃナカジの責任、、、という風になっていたように思います。



【2012年以降】
そして伝説へw


今回のMLB移籍に関して思うところは色々ありますが、とにかく想い出の多い選手です。
我は西武ライオンズ時代しか知りませんので、福岡時代はわかりませんが
これだけ老若男女から愛された選手もライオンズの中ではなかなかいませんね。

ちょっとウンチク続くかも。今日は寝ますw。


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